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鵜飼准教授のページ

私の地域再生

 私は近江環人地域再生学座の担当教員として昨年十一月より県立大学に赴任した。それまでは大手ゼネコンに勤める普通(?)のサラリーマンであった。

 私が地域で活動していると、出会う人出会う人に「鵜飼さんは何をしている人ですか?」と良くきかれた。サラリーマンがなぜ?と多くの方が疑問に思っていたようだが、私自身でも何かにとりつかれたような活動を不思議に思っている。

 私が市民活動、まちづくり活動をはじめたのはほんの5年ほど前である。ただ、この5年間を振り返ると20年ぐらいの密度があったようには感じる。

■ 辿り着いた自分のフィールド

 先日、近江環人の公開講座のゲストにお越しいただいた内藤正明先生にご挨拶をさせていただいた。それは、私にとっては大変感動的な瞬間だった。

 実は先生にご挨拶するのは初めてではない。正確には覚えていないが、2000年に一度、東京で開催された小さな勉強会に参加した際、先生が講師でいらしていて、ご挨拶させていただいていたことを記憶している。その際に、先生がとりまとめられた本*1が手元になく、後日わざわざお送りいただいた。そして、おうかがいしたお話しと、その本は私の活動の原点となっている。

 実に6年ぶりに、先生にお会いできたことは、何かやはり自分の宿命を感じる。「おまえのフィールドはここだ」と神様に言われているような気がしてならない。

 今回の赴任に際して、後述するNPOの代表に相談していたときに、その代表がこう言った。

「何か自分がこうしたいって思っていると何となくその方向に行っているのよね。何かしたいと言う思いがあって、自分を取り囲む状況がその方向に向いているのであれば、なにも迷うことないじゃない」

 まさに、そういう流れで辿り着いたのが内藤先生との再会だったのではないかと思う。
     *1内藤正明 「地球時代の新しい環境観と社会像」エッソ石油株式会社、1992.11 

■ 「できること」を探して

 私のまちづくり活動へのきっかけは、前述の研究会での出会いからであった。その方は、大手電機メーカをリタイアして、自然エネルギーの普及啓発活動を行うNPOを実践していた。研究会後の会話から、ちょっと「現場を見てみるか」という軽い気持ちで活動に参加したのが、現在の活動までつながっている。

 正直、私は、化学とか物理は苦手である。しかし、最新技術にはめざといところがあり、コンピューターやデジカメなどには興味があった。太陽光発電パネルも2000年当時はまだ市場に出始めたばかりであったが興味を抱いたものであった。

 最初のお手伝いは、住宅展示場での自然エネルギー関連機器の展示で、一応簡単な説明ができるようレクチャーを受け、展示場に来訪する人々に説明する事だった。そこで気がついたのは、多くの人が関心を示すことと、その一方で、地球温暖化に対する知識など全く持っていなかったことであった。

 さすがに、これではイカンと思った。環境問題が深刻化することはすでに明らかなのに、市民レベルでは全く認識されていないことを肌で感じた。そして、そういった人々を変える、あるいは社会を変えることの必要性を強く思った。そして、自分にできることは何かを考えはじめた。

 しかしながら、そのように思いつつも、実際に自分が何ができるのかと考えるとなかなか答えは見つからなかった。本業では地域開発事業に携わっていたが、それでは社会は変えられないとも思った。

 そのような時に出会ったのが「コミュニティ・ビジネス」(以下CB)という考え方だった。CBは細内信孝氏が提唱した和製英語だ。CBの理念は、E.F.シューマッハーの中間技術に通じると感じるのは私だけではないであろう。人間らしい働き方を描くCBは、環境負荷をも低減し、人類に未来をもたらすものと私は感じる。

■ 五足の草鞋(わらじ)

 環境問題から、コミュニティ・ビジネスへの出会いを経て、現在、私が関わっているまちづくり活動・NP0活動は4つある。

 ひとつは、福岡県大牟田市、熊本県荒尾市をまたがる三池炭鉱地区での産業遺産を活かした地域再生活動だ。
この団体の活動は6年目を迎え、現在では指定管理者を受託するなど年間事業規模は一千万円を超える団体となった。私は地域の人々と連携し、この活動の骨格を形成し、立ち上げを促した。

 2つめと3つめは、自宅のある東京都大田区での活動で、地域情報紙の発行を手がけるNPO法人大森まちづくりカフェと、このカフェが共同事務所を間借りしていた「NPO法人大森コラボレーション」である。前者は、自らが中心となり活動を立ち上げたもので、後者は、既存の町内会を中心とした任意団体からNPO法人への変革を支援したものである。
 そして、最後4つめは前述した細内氏が理事長を務めるCBNコミュニティ・ビジネス・ネットワークの活動である。現在の本業も含めると五足の草鞋がある。

 これらの活動の中から、九州で産業遺産という地域資源を活用してまちづくりを展開する、NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブの活動を紹介する。

■ 炭都再生

 私は九州には何の縁もゆかりもない。
 
 この町に出会ったのは、仕事で訪れたのが最初であった。時が止まったような街での三日間の滞在で、私は何か得体の知れないエネルギーを感じた。

 その体験が忘れられずインターネット上で調べていくうちに、ネット上で出会った人々と活動を立ち上げることになった。ネット上での議論は一年を超え、「おまえは何も知らないよそ者だ!」と厳しい非難も浴びた。

 九州の北部は、かつて炭鉱の街として栄えた地域が多く、いままだ、石炭関連の遺構が多く残されている。福岡県大牟田市、熊本県荒尾市にまたがる三池炭鉱もそのひとつで、地底深くにもぐるためのエレベーターの櫓など、多くの遺構、いわゆる「産業遺産」が残されている地域である。

 NPO法人大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブは、衰退するこのまちを、これらの産業遺産を活用して何とか元気にしたいと考えた大学院生(当時)を中心として結成した団体である。

 取り組んでいる主な事業は、まちあるきイベント「TantoTantoウォーク」の開催や、中学・高校の修学旅行生に対してのガイドツアー、その他、炭鉱の用語をカルタにした土産物や、オリジナル弁当「石炭物語」の開発など産業遺産を活用して、様々な事業を展開している。ガイドを中心的に務めるのは、元々炭鉱で働いていた「炭鉱マン」である。(写真)彼らは、自らの経験を語り、子どもたちや来訪者とのコミュニケーションを楽しみながらガイドを行っている。

 そして、これらの地道な活動が行政に認められ、現在では炭鉱記念館の指定管理者や、市営科学館の企画運営にも参画している。


   ガイドツアーで解説を行う元炭坑マン

■ 近江環人への期待

 今振り返ると、活動の立ち上げの際には、所属する企業の名刺は何の役にも立たなかったと思う。 

 大きなビジョンをもち、自分たちが何をしなければならないか、何ができるのかを悩み、可能なことを仲間に伝え、共感を得たことが今日の活動につながっているのだと思う。

 まちづくり活動にはよく「風の人」「土の人」という役割が挙げられるが、私は近江環人には、「火の人」になってもらいたいと願う。それは、グローバルなビジョンと篤いハートを持ち、ローカルなフィールドで自らすすんで実践を展開し、地域力を創造し、地域力が養われたところで地域の人々にバトンをわたしつつも、火が絶えないようにエールを送り続ける役割の人材である。

 そういった役割を担うには、本質を見抜く目、広い視野と専門性を併せ持ち、人々を巻き込む懐の深さ、フットワークの良さ、豊かな創造力、柔軟で総合的な問題解決能力などが必要であろう。

 しかし、これらすべてを一人で持つことが大事なのではない。私は、近江環人のプログラムでは、個々人の持っている能力を少し整理させていただいていると思っている。その整理を通じて、自らの不足してる要素を理解し、不足している部分を補うネットワークを形成し、地域再生やまちづくりの実践にネットワーク体で取り組んでいただければと思う。

 環境問題を解決しつつ地域の再生を図ることを実践し、あるいは世界に広めていくことは、環境のシンボル琵琶湖で学んだ近江環人の宿命であろう。それは、内藤先生の示された未来ある人類のシナリオを実現することでもある。

(情報誌「近江環人」創刊号より)

鵜飼研究室HP
http://www.eco-minka.com/